ときめき新潟国体 準々決勝敗退
今年の新潟国体で、静岡県選抜は1・2回戦を突破し、
3回戦(準々決勝)、京都に0-2で敗れた。
後半20分過ぎのアンラッキーな失点から、先手をとられて、
退場者も出し、反撃の糸口もつかめないまま終了のホイッスルを聞いたそうだ。
今年の監督は、東海大翔洋の賤機(しずはた)監督
国体前の高校選手権では率いる、東海大翔洋が科学技術に敗れるアクシデントがあったが、傷心を顧みる間もなく、そこから奮起し、新潟に乗り込んだ。
その年の、国体選抜のチーム作りは、前の年の国体が終わって12月のジュニア合宿から始まる。
ジュニア合宿には、その年の中学3年生と高校1年生の早生まれ選手が対象となる。
ジュニア合宿の段階での高校一年の“早生まれ選手”は、国体の本番時期には高校2年生である。たとえ、16歳以下の同じ年齢といえど、高校年代でのまる一年の経験の違いは、大きな戦力になる。
つまり、国体で勝つためには早生まれの選手をどう生かすか、チームの核としてどうチームを構成するかが、国体予選となる東海トレセンリーグから本大会までの最大のテーマだ。
今年はジュビロの塚田君がその役割を果たしたようだ(他にも早生まれ選手がいたかも知れないが)。
言いかえれば、賤機監督はその役割を塚田君に託したのだろう。
その年の国体選抜チームを作る過程で、次のポイントとなるのが、
4月以降に加わる“県外組”だ。
何だかんだ言っても静岡県には、ユース年代(高校)での県外からの流入する選手が多い。全国から静岡の地にサッカー環境を求めて優れた選手が集まってくる。
ジュビロや静岡学園、藤枝東などに、U-15年代でのナショナルレベルの選手も入ってくる。
ジュニア合宿参加メンバーを中心に春休み(3月)の海外遠征を行い、4月になってさらに“県外組”を発掘し合流させて、6月頃から始まる国体予選となる東海トレセンリーグの戦いに入っていく。
U-16(高校1年生)とはいえ、秀でた選手は5月、6月の段階でレギュラーとして試合に出場し、プリンスリーグや高校総体で活躍する選手もでてくる。
そういう選手になってしまうと、所属チームもプリンスリーグのまっただ中、県選抜とはいえ練習会やトレセンリーグにも簡単に出せなくなってしまうのが実情。
良い選手であれば、あるほど静岡県選抜に合流させにくくなるというジレンマが生じる。
監督は、そういう所属チーム事情や県選抜の日程を何とか調整しながら、東海予選を戦う事になる。
静岡県選抜がこれまで、国体に出場できなかった事は記憶にない。いや、あり得ない。
もし、東海で敗れて国体に出場できなかったような事になれば、大変な事になる。
そういう重圧を受けながら、常に崖っぷちにたったような心境で、国体予選となる前期トレセンリーグとミニ国体と呼ばれていた8月の中期リーグの合計6試合を戦う事になる。
静岡県の選手のレベルは確かに高く、層も厚い。
だからこそ、負ける事は許されない。
賤機監督もまた、今年そうした苦労を乗り越えて新潟国体への出場を、“あたりまえ”のように実現した。
国体では、昨年は一回戦で北海道に敗退。
一昨年の秋田国体、その前の兵庫国体ではベスト8で準々決勝で敗退した。
“優勝”を宿命づけられている静岡県選抜にとって、ベスト8敗退は屈辱だ。
その、屈辱はどこに行くのだろうか…。
その行き先は、監督のその後の生涯、脳裏に刻み込まれたまま、“敗戦の将”として、その先ずっと、背負って行くものだ。
静岡県代表を率いての敗戦。
この心のキズは、一生治らないキズ。忘れようとしても忘れられないトラウマだ。
自分の中に押し込めて、サッカーを続ける限り、常に共存していかなければならない、宿命になっていくのだろう。
“敗戦の将”は、華やかな場所に背を向け、静かに、心安らぐ場所を好む心境になるのだろうか。
戦争中の指揮官が、死にきれず生き残ってしまった残りの生涯を、部下の弔いに捧げる話を聞いた事がある。
敗戦をゆっくりと自分の中に受け入れ、消化しながら、また自分の力に変えていく。
サッカーはまた、そこから始まるはずだ。
賤機監督お疲れ様でした。


































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